まず最初に注意をしておくが、これは病んでいる人間が読むだけで復活する魔法の記事ではない。
むしろ病みを加速させ自殺すらさせてしまうかもしれないが、俺は読んだ人間の行く末に関して一切の責任を持たない。
ここから先を読んでどう動こうがあなたの勝手である。俺は何も関係ない。
それでも、万が一くらいの確率で、これを読んだ人間が復活するならば、俺は素直に嬉しいと思う。
文体が中二病くさいのは勘弁してほしい。この文体じゃないとうまく書ける気がしない。

さて、いま現在、この文章を書いている俺は高校2年生だ。3学期が始まって何週間か経つ。今現在はある程度精神が復活している。
それじゃあ病んだのはいつかというと、これもまた高校2年生のときである。
原因はいろいろあったので、少し列挙していく。
まず、俺は部活でミスをした。あるところに鍵を掛け忘れていた。
高価な機材を扱っていたから、それはもうこっぴどく怒られた。しばらく機材に触ることを禁止されてしまった。
次に、数学や化学がうまくいかなくなった。どんなに授業に出ても、内容がまるで頭に入ってこない。指数も対数も、いまだによくわからない。微分など、ちんぷんかんぷんだ。
さて、夏休みの俺はどうだったかというと、これもまたひどかった。
前半こそよかったが、後半でどんどん精神を病んでいった。
宿題が手につかないのだ。
傍から見たらただのサボりに見えたことだろう。しかし精神を病んだ諸氏ならばわかってくれるだろう、できないのだ。正直これは今も治っていないと思う。
親はそれでもいいから学校に行ってこいと言った。至極当然である。
しかし、そこからははっきり言って地獄だった。
俺は何度も休むことを繰り返した。
あるときなんか、体調不良を訴えても誤解され家に帰してもらえず、その後でひどい頭痛に苛まれたことさえある。うまく説明できなかった俺の責任だとは思うが、どうしても納得できない。その後1週間以上学校を休んだ。
またあるときは呻き声を上げるほどの頭痛に襲われ、レントゲン写真を撮ることにまでなった。
幸い脳に異常はなかったが、その後思いっきり吐いた。

これがだいたい2学期全体の出来事である。4ヶ月間で自分にどれだけのストレスが溜まったのか、知りたくもない。

さて、この2学期の間、俺は幾度となく死にたいと零した。
何があったとしても今こうやって生きているよりはマシだろうと。
言い過ぎたために親を泣かせたことすらあった。

しかし俺は今こうやって記事をタイプしている。即ち生きている。
さてなんで自殺しなかったのか。答えは至極簡単だ。

俺は臆病だったのだ。
俺は病みきれていなかったのだ。

鬱病の人間が電車に飛び込んで自殺する心理を聞いたことがあるだろうか?
聞くところによれば、あれは突発的なものらしい。
以前Twitterに体験談を上げていた人が「今飛び込めば明日から仕事行かなくていいんじゃね?」程度に思ったと書いていたと思う。かなり前なので正直記憶は曖昧だが。

しかし忌々しいことに、俺には理性が残っていた。
俺は、こんなにつらいなら正常な判断すらできなくなって自殺してしまうほうがマシだと考えていた。
俺じゃない俺に、死を委ねたと言うこともできるかもしれない。
だが果たしてその俺はついに俺を殺すことはなかった。
日々心を蝕む罪悪感、死にたいという気持ち、状況が好転することを望むことすらできなかったが、自殺する勇気も出ず、永遠に苛まれ続けていた。

敢えて書こう。自殺できた人間たちは幸せである。
それが飛び込みだろうと飛び降りだろうと、その時の俺は死ねた人間を羨ましく思った。
自分だけ死ぬのが迷惑ならいっそ隕石でも降ってきてみんな死ねばいいと思ったこともある。
結局自殺する勇気すらない雑魚のくだらない妄想である。

さてこの病みだが、転機は冬休みだった。
冬休みの終わりが近づくに連れて順調に心を壊していった俺はついに家出を計画した。
仙台にある実家に帰りたいと思って計画した。
ちなみに即親にバレた。それでも親にお金を出してもらって、仙台で療養生活みたいなものを送った。
仙台の生活は最高だった。朝起きて昼でかけて夜寝る。そんな当たり前の生活が正常な思考のもとで行えたのだ。はっきり言って天国だった。

しかしそれも終わりがくる。修学旅行を控えた俺は学校に行く必要があったのだ。
そうして、とても久々に登校した。1-7時間目まで、フルである。
もちろん死ぬほど辛かった。それでも自殺する勇気なんてものはないので耐えた。
修学旅行は楽しかった。3日間学校のお勉強とはおさらばして楽しんだ。
ちんすこうを食べきれないほど買って東京に送った。
でも、東京に帰ってきてから、俺は一度も学校に行っていない。
転学を決意したのだ。通信制高校に変えようと思った。
このおかげで、今の俺はある程度マシな精神状態で生きていられるのだ。
驚くべき進歩である。


さて、まとめに入ろう。
俺がこうやって生きながらえているのは、家出を計画するという行動を起こせたからだ。
おかげで一生罪悪感に苛まれながら自殺する勇気もないまま惨めに生きていくことを回避した。
今これを読んでいる人間がどういう奴かは知らない。でももし俺みたいに完全に狂うこともできずただただ病んでいる奴がいたら、家出でもしてみろ。環境をガラッと変えてみろ。持ってるだけのありったけのお金を持って、できるだけ遠くに行ってみろ。親戚のあてがあるならそこを当たれ。ないならネカフェでも探して泊まれ。自転車でも良い、電車でも良い、なんなら歩きでもいい、行けるとこまで行け。野垂れ死にするつもりで行ってみろ。
親が心配してくれるんだったらそのときぶちまけろ。親じゃなくても心配してくれる人に力いっぱいぶちまけてしまえ。
それでもどうしてもだめだって言うんだったら、その時になって初めて自殺を検討しろ。
自殺する方法なんて案外調べりゃ出てくるものだ。事実今ググった。
個人的には酒とかで感覚を麻痺させて凍死なんてよさそうに思えるが、どうだろうか。まあ死んだことがないので知らないが。


最後に。
この記事は一応自殺を勧めているわけではない。言い逃れしようと思えば「自殺する前にどっか遠くに行ってみなよ」とアドバイスしてるとでも言えばいいし、事実そうである。
だが、はっきり言って未だに死ぬ権利が定められていない日本はやはり後進国だ。
つらいから死ぬ、ただそれだけのことがなぜ認められないのか。(もちろん、安楽死に見せかけた殺人が発生するリスクはあるかもしれないが、あくまで感情論である)
死ぬ権利が定められれば、いつでも死のうと思えば死ねるというふうに思うようになって、余計にしっかり生きる人が増えていくのではないか。
自殺大国日本の行く末や如何に。まあそんな大きなスケールで物事を考えなくても、あなたが自分を殺すか否かを考えればいいだけなのだが。