誤解されたくないのでまず初めに言っておきますが私はオタクです。オタクに対して敵対する立場ではありませんのでご理解ください。
また、私は「オタクが経済を回している」というのは正しいと考えています。コミケに代表される大規模な同人誌即売会やニコニコ超会議など、たくさんの人間を動員するオタク的イベントがいくつも開催されている昨今、オタクが経済に貢献していないと言ったら嘘になります。

私はそれを踏まえた上で、「オタクが経済を回している」という主張をやめよう、と言いたいのです。

そもそもこのような主張はなぜ出てくるのか?
オタクの歴史を語る上で迫害されてきたという事実を看過することは不可能でしょう。パッと思いつくものでは、宮崎勤などでしょうか。彼は、東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の犯人であり、死刑判決を受けるほどの犯罪を犯しました。彼がオタクだ、ロリコンだという報道がなされ、当時まだ日の目を見るとまではいかなかったオタク達は風評被害に遭いました。これらは許されざる偏向報道と偏見に基づいたものでしたが、社会でオタクに対する風あたりが強くなったのは残念ながら事実です。しかし、そのような雰囲気の中でもオタクと呼ばれる人々は増え続け、風評を払拭する努力をし、今や大規模なイベントを開催して十万人規模の人員を動員し、経済に貢献するようになりました。
それでも今なお「オタクは気持ち悪い」という意見を隠さず主張する人間は残念ながらいます。「オタクは経済を回している」という主張は、そのような人々、つまりオタクを気持ち悪いと思い排除しようとする人々へのカウンター攻撃のような一面を持っているわけです。

私がこの主張をやめようと言う理由
私は、この主張が世論を「オタクは経済を回しているので存在が許されている」という状態にしかねないと危惧しています。オタクというのは、単に趣味に没頭する人々の総称であり、経済を回さないと存在が許されない人々ではありません。考えてみましょう。オタクは経済を回すためにゲームを買ってコミケや推しのコンサートに行きますか?違いますよね?オタクは、単に自分のやりたいことをやっているだけです。経済が回っているのはあくまでその副産物に過ぎません。
もう一つ理由を挙げるならば、この主張は、例えば小説を書くことが趣味のオタクなどのように、経済に貢献しづらいオタクを切り捨てることになってしまいます。経済を回すオタクのみが存在を許されるようになっても、何の意味もありません。

真にオタク達が目指すべき社会
我々オタクが目指すべき社会とは、社会に貢献することでオタクの存在が許される社会ではなく、オタクが当たり前に存在するだけの社会です。わざわざ経済に貢献しようとする必要はありません。
オタクは普通の人間です。経済を回さずとも社会にいてもいい存在です。排除される謂れはありません。
理想的な社会は、「オタク」というワードが、そのような人々が当たり前にいるため存在しない社会です。オタクの概念の拡張も手伝って、オタクに分類される人々は日々増え続けていますから、そのうち「オタクは経済を回している」という主張も、それどころか「オタク」というワードも無意味になる日が来るでしょう。これこそが、我々が目指すべき真の理想の社会なのです。